フリーライターcarlyのプロフィール

はじめましてcarlyです。

こちらは本ブログ「CARLYGRAPH」(かーりーぐらふ)の 管理人 carly(かーりー)の詳しいプロフィールページでございます。

 

わたしは今、のんびりではありますがフリーライターとして活動しています。しかし数ヶ月前までは、フレンチ料理人として10年間、東京で仕事をしていました。

控えめにいっても「なぜ10年も料理人をやっていた人が今はライターなんてやってるの?」と思う人がほとんどだと思います。

 

もしかしたらお察しの方もいるかもしれませんが、わたしは「料理人の仕事が向いていない」「生きることが辛すぎる」と考え、10年も続けた料理人の仕事を2017年7月に永久に退職することを決めました。

このページではそんなわたしが料理人の仕事を辞めるまでになにを考え、なぜフリーライターの道を選んだのか、これからどんなことをやっていくのかをありのままに書いていきます。

 

「この仕事に向いていない」と気づいていないフリを続けた社会人生活

わたしは高校卒業とともに東京の調理師専門学校に進学したくらいで、「将来はなにになりたい?」という質問には困らなかった子供でした。しかしそれが大人になった今、正しかったのかはわかりません。

専門学校を卒業して東京で料理人として暮らしていた約10年間は、子供の頃に想像していたキラキラした未来や、楽しく充実した毎日というワードからはかけ離れすぎた毎日だったからです。

 

料理人の仕事ときいたら、どんなイメージが湧いてきますか?

  • 長時間労働
  • 長時間拘束
  • 長期休暇なし
  • とにかく体力勝負

もちろんこれらがないと言ったらウソになります。自分の時間がとれないワークスタイルや実家へ帰省することすら叶わなかった現実がずっと続くと悟ったときは、未来をすべて捨てたくなるほどの絶望感を味わった気分でした。

 

それに加えて日常的に繰り返される暴力や暴言は、わたしの夢や将来への希望をうばうには充分でした。

法律にふれるようなこともしてないのに包丁を突きつけられたり、蹴りやコブシが飛んできたりって、ふつうはそう毎日体験することじゃないですよね?怒り狂った人間に包丁を突きつけられたら、脅しだとは分かっていても恐怖や危険しか感じなかった。

 

加えて、少しのミスで「死ね」といわれる毎日は、これまで平和にのほほんと生きてきたわたしには想像を絶する世界だったのです。

でもそれだけでの理由で、辛かったから仕事を辞めたというとちょっと違います。

周りの人からしてみたら「ブラックだ」「辞めて当たり前だ」と言われても、「自分の選んだ道だから」と思ったら、簡単には辞めるという選択肢は出てこないものです。

 

それを世間一般には、プライドが高いというのかもしれません。でもわたしは両親に自分の好きな将来を選択させてもらって、なに不自由なく歩ませてもらった恩があります。

その過程でたくさんの友人や恩師、同僚や上司、お客さんに恵まれて成長させてもらってきたことも忘れてはいけません。

その恩を裏切らないためにも「わたしは一生、料理人として仕事をして食べていかなくちゃいけないんだ」と思っていました。

 

でも実際には、自分の身を振り返るほどの時間もない毎日に追われ、夢や目標を持って叶えたはずの「将来の夢」が「つらい現実」へと変化していることに気が付きました。

 

「こんなはずじゃなかった。子供の頃は大人になるってもっと楽しいものだと思ってた」

「仕事をするって、生きていくってこんなに大変なんだ」

「子供の頃に知っていたらよかったのに。誰も教えてくれなかったよ」

 

好きだったはずの料理が、好きかどうかわからなくなった

自分が「料理で恩返しをしたい」と思う一方で、仕事が辛くて辛くて死にたいとまで考える毎日は、今でもほんとうに辛くて苦しくて考えないようにするだけで精一杯です。夜中の1時に自転車を漕ぎながら涙を流して帰った日だって、1回や2回じゃありません。

それでも週に1回メールをくれる母や、数ヶ月に一回会う友達には「辛い」「仕事を辞めたい」と愚痴ることすらできませんでした。

 

誰だって自分のことで精一杯だから心配をかけたくなかったし、なにより自分が弱いということを知られたくなかった。

誰にも仕事が辛いということを相談できないまま、とにかく耐えるだけ・とにかく今をやり過ごすだけの、まったく意味のない日々を送るのがわたしの精一杯だったのです。

 

このまま料理人の仕事を続けるには体力も精神も限界で、これがどう頑張っても続くわけがないと理解しながら働くのは、同じ業界でがんばっている仲間や友達、お客さんや両親までをも裏切ってるということと同じ。

当然ながらモチベーションだって続くわけがありませんでした。

 

「料理で恩を返す」という言葉だけを思いながら成長もしていない、ひたすら無になって一日一日を消化するだけで生きている生活が、社会人1年目~6年目くらいまで続きます。

その間はずっと「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」「この仕事をしていたらやりたいこともできずに一生が終わる」という思いに気づいていないフリをしながら生きていました。

 

本当はもっと自由に生きたい、やりたいこともたくさんあるという気持ちがありながらも、そんなことは夢のまた夢、そんなことをして生きていけるほど世の中は甘くない。それが生きていくことなんだと思っていました。

そんなふうに人生を悲観しながら生きていると、好きだったはずの料理が今も自信を持って好きと言えるのかも分からなくなっていました。

 

社会人経験の滑り出しから「わたしにとって料理は仕事で、仕事は辛くて苦しくて未来のない義務作業」だという考えが脳内にこびりつき、今でも完全に落とし切ることができていません。

 

「好きだ」と自信があるものの支え

料理人として働いていた間のわたしの精神衛生は、見たとおりに常に最悪でした。それでも ”最悪の選択” をせずに済んだのは、心のどこかで無理だと思っていても、やりたいことや好きなことがあったからです。

わたしの場合はそれが、海外旅行や好きなバンドの追っかけだったのです。

 

料理人をしているときは2連休すらなかったので、うっぷんを晴らすように仕事を辞めては海外へ行くことを繰り返す。あるバンドとアーティストへの愛をこじらせて、イギリスとオーストラリアに一人でライブ参戦しに行ったほどです。

人格や自分の人生を否定されても、好きだと自信があるものの存在がわたしの生きるたったひとつの理由でした。

 

仕事をしていく人生には絶望していたけれど、好きな音楽やアーティストがなくなる人生を選択するなんて考えられなかったのです。

自殺を選択する瀬戸際をふらふらと歩きながらも、好きなのもを諦めたくなかったわたしは今ようやく、あるべき正しい場所に戻ってこれました。

 

地元に戻ってリセットしようと思ったが・・・

高校を卒業して料理の道に進むために東京へ出てきておよそ8年。料理人としての夢も人間としての希望も忘れ、ただご飯を食べて生命を維持するだけの「無」の生活の中で、わたしは料理人としての人生から逃げるように実家に戻ることを決めます。

 

このときすでに「いい機会だし、料理人を辞めて一般職につこう」と思って、地元で就職活動をするつもりでした。

ハローワークに通ったり求人広告をみたりして仕事を探しますが、なにもかもが中途半端な田舎では、東京でのペーパー生活で車にも乗れないわたしが働けるような場所が見つからなかったのです。

そんな背景もあり、仕方なくはじめた実家から一番近いスーパーでのお惣菜コーナーの仕事が、こんなにも恐ろしい実態だとは、まったく想像していませんでした。

 

そのスーパーでの仕事は、今まで働いてきたどの職場よりも悪質で典型的なブラック企業だったのです。

 

アルバイトなのに出勤前・出勤後の毎日合計3時間以上のサービス残業は当たりまえ、有給休暇はとれない、希望休がとれない、祭事には異常なほどのノルマ。

若いから・独身だから・女性だからという理解不能な理由でわたしを公開処刑して楽しむような、精神衛生に毒を注ぎまくるおつぼねが現場を牛耳るという、想像を絶する世界だったのです。

 

「料理人を選んだ人生そのものが失敗だった」

地元に戻ってからの日々は、東京のそれとは似ても似つかないような恐ろしさでした。

こんな恐ろしい世界が何十年も平気で続いてきたことに強い憤りを感じ、「この世には楽しく生きるすべなんてない」「ぜいたくなんてしなくてもいい、そんなお金を稼ぐだけなのにこんなに辛いの」と、とにかく悲しくて仕方なかった。

 

母を心配させないように毎日仕事に行って、ふつうにご飯を食べて「大変だけどね~仕事だから」と笑顔をつくろっていた自分を褒めたいくらいです。

そんな経験をしたことで「料理人だったからブラックな働き方しかできないんだ」「子供の頃から自分でブラック人生を歩むことを決めていたんだ」と、今までの選択すべてを恨んだほど。

料理人として、社会人としてのどん底を2回も味わって今度こそ、どうしたらいいのかわからなくなっていました。

 

アラサーだけど、人生やり直したい

東京での一人暮らしはワケも分からず忙しく、身の回りのものすべてがストレスに感じてしまって、わたしには合わなかった。東京での暮らしに疲れてしまったのです。

東京から逃げてきた先で再びドン底に突き落とされたわたしですが、実家に戻ったことで心の余裕をとり戻していました。家に帰って誰かがいる、誰かとご飯を一緒に食べる、テレビを見てくだらないと笑う。

 

実家に戻って、心を許せる誰かと過ごすことで当たりまえのことを幸せに感じるようになり、自分自身のことを省みる心と時間の余裕を少しずつとり戻します。

変わらず仕事には消耗していたし、将来に希望もなかったけれど、目の前の生活を楽しめるようになったことで自分が少しずつ変わっていくのを感じていました。心と身体が正常でないと、未来のことなんて考えられなくなってしまうのですね。

 

東京から出戻って2年が経つ頃には「人生楽しく生きたい」「自分に自信を持って生きたい」と考えるようになります。そう思えるようになったことで、わたしは料理人を辞める決意として退職願を提出します。

その日からわたしは「料理人をやらずに生きていく方法」を毎日毎日ネット上で探すようになります。

料理人を辞めた心中

「料理人に向いてないので仕事辞めます」気づくのに10年かかった話

 

みんなのブログが教えてくれた「場所と時間にとらわれない働き方」

退職届を提出してからは、仕事以外の起きている時間のほとんどを「料理人をやらずに生きていく方法」を探すことに費やしていました。

期待はあったものの、今までの経験から「簡単に見つかるわけがない」「そんなものがあっても詐欺に決まってる、なんでみんな騙されるんだろう」と思っていました。

 

しかしわたしが求める「料理人をやらずに生きていく方法」はあっさりと見つかったのです。

 

それはブログでした。

 

ネット上を探すと、「ブログで月に10万円稼ぐ」「ブログの稼ぎだけで生活する」といった話は世間話くらいの当たりまえさでヒットします。わたしはお金を稼ぐことは、会社に勤めて毎日決まった時間・決められた仕事をこなしてしかできないと思い込んでいました。

 

わたしの人生リストには、社会で働かずにお金を稼いでいる人は一切載っていません。ブログは、そんなわたしの価値観・人生観からは考えもつかない、考えようともしなかった事実でした。

ブログで稼ぐという手段を知ってから、パソコン1台で仕事をするというスタイルに興味を抱き、人生ではじめてのブログを始めることにしたのです。

 

アラサー元料理人が未経験からフリーライターへ

料理人を辞めたことは、わたしの人生にとってかなりの偉業です。今まで会社で勤めることでしかお金を稼ぐ方法はないと思っていたからです。

ブログをはじめて半年ほど経った頃、今までと同じように先を一切決めずに、腐りきったスーパーでのアルバイトを辞めました。このときのある出会いがなければ、わたしは今フリーライターになっていなかっただろうし、今も料理人として腐りきっていたはず。

 

ある出会いとは、Twitterでたまたま見かけた「田舎フリーランス養成講座」です。

千葉県の金谷という、自分の地元よりも果てしない田舎で開催されている、自分らしい生き方を探す田舎移住体験です。田舎フリーランス養成講座をひと言であらわすのは非常に難しいので、以下の記事を参考にしていただければと。

人生の転機「田舎フリーランス養成講座」

「田舎フリーランス養成講座」で自分の人生にクソまじめに向き合う

「これって詐欺じゃないの?」と思う人も多いようですが、わたしは一切の疑問を持たずに申し込みました。単純なのか・・・ワラにもすがる思いだったのか・・・。

 

結果、ここでは同じように人生に悩む人たちと出会えて一緒に成長できたし、自分のことを前より愛せるようになりました。ここでの体験と、出会ったすべての人たちとのつながりが大きな財産です。

ここでの経験を経て、わたしはフリーライターになることを決めました。

 

人生の多様性を体現したい

簡単にわたしのスペックをまとめると、以下のようになります。

  • 10年も料理人として過ごしてきた世間知らず
  • 「自称・進学校」の高校を卒業
  • 一般常識、ビジネスマナーに触れたこともない
  • ほとんど元コミュ障
  • 彼氏なしの独身アラサー女
  • 貯金なし
  • 資格なし

文字だけみても最悪です。ですが、それに負けないくらいの神経の図太さを持ち、「常識」の落とし穴を理解しているつもりです。

今まで「常識」というものにとらわれて、自分の人生を自分で潰し、生きる意味を失った過去があるからです。

 

アラサーで転職したっていい。アラサーで未経験からでも、新しいキャリアを築ける。

アラサー女子だから彼氏がいなきゃいけない、結婚しなきゃいけない。

「仕事 = 辛い、キツい、我慢しなきゃいけない、やりたくないことをする、つまらない」という呪縛をなくす。

人生にはたくさんの選択肢があることを知ってほしい。

やりたいことを我慢しない。自分の人生は自分で選択する。

 

わたしはフリーライターとしてと言うよりは、わたしの行動すべてでこのようなメッセージを伝えたいと思っています。だから、肩書が突然「旅人」になるかもしれないし、また「料理人」に戻るかもしれない。

今では、なにが起こるかわからないのが人生でいいと思っています。適度に流れにまかせて、その場その場で最大のパフォーマンスができればいいかなと。

 

carlyが発信する2つの ”リアル”

仕事の悩み・アラサーからのキャリア形成・アラサー女子ならではの悩み・常識から外れることなど、多くの人が不安に思っていることに挑戦して、自分の可能性を見捨てないでほしい。

このようなメッセージを伝えるために、わたしが発信していくのは以下の2つの ”リアル” です。

  • アラサーで海外進出(ワーホリ)のリアル
  • 未経験・アラサーでフリーライターで食っていくリアル

この他にブログでは、料理人時代のことやその経験から見えたこと、アラサー女子の心の内なども発信します。

反面教師にしてもらってもいいし、こんな人がいるんだと知ってもらったことがなにかのキッカケになればとてもうれしいです。

1、未経験・アラサーでフリーライターに

とくべつ読書好きだったわけでもない、文章が得意でもない高卒のただのアラサー女子が、未経験からフリーライターになりました。

仕事についてとても悩んだ時期があったので、仕事をもっといい方向に捉えられるように以下のようなことを発信します。

  • 在宅ワーカーの仕事スタイル
  • 料理人時代と変わったこと
  • 会社勤務ではなく、フリーランスとしての生き方
  • パソコン1台で仕事をすること
  • ライティングスキルについて
  • アラサー未経験から新しい仕事をはじめること

まだまだスキルも乏しく、自分のダメさに落ち込むこともあるけれど、「アラサーで転職なんてムリ」「この年齢からはじめられる仕事なんてない」と思っている方の背中を押したいです。

2、アラサーで海外進出(ワーホリ)

わたしはずっとイギリスに住むことを夢見てきたので、ようやく2018年3月からワーホリビザ(YMS)でイギリスに2年間、移住します。

新しいことに挑戦するのに年齢は関係ないし、人生は気持ち次第でどうにでもなります。

  • 英語を話せるようになるまでの過程
  • イギリスで生活の基盤をつくる方法
  • 現地で仕事を得る・つくる方法
  • イギリスで外国人として暮らすこと

このようなことを発信しながら、英語が話せない・貯金もない・特別なスキルもないただの平凡なアラサー女子が、海外でどう生き延びるのか実験です。

 

お仕事の依頼やご相談

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